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週刊少年ジャンプ(しゅうかんしょうねんジャンプ) は日本において集英社が発行する週刊の少年向け漫画雑誌である。
通称「ジャンプ」、略称WJ(Weekly Jump)。1968年7月11日に同年の8月1日号として創刊。創刊時は月2回(第2・第4木曜日)発売、1969年10月から週刊化された。毎週火曜日発売、2007年現在は毎週月曜日発売。シンボルマークは海賊マーク(ジャンプパイレーツ)。雑誌キーワードは「友情」「努力」「勝利」。しかし、2000年頃からこれにとらわれない重い雰囲気のシリアスな作品も増えつつある。
創刊時に後発の少年漫画誌として当時の人気漫画家を確保出来なかったため、連載陣のごく少数を除き、全て専属契約の新人で揃えることとなった。これは新人発掘に効果を発揮し、ジャンプ躍進の原動力となった。週刊少年漫画雑誌で最大部数を誇るようになった現在も、この方針は継承されている。初の漫画専門誌であり、この人気により少年向け総合誌だった他誌も漫画専門誌へと移行するきっかけとなった。
講談社の『週刊少年マガジン』や、秋田書店の『週刊少年チャンピオン』で掲載されているような表紙および巻頭でのスポーツ選手やアイドルのグラビアは、1970年代後半から1980年代前半までと、1990年代後半の一時期にはあったが、現在は載っていない。
歴史
1968年(創刊)〜1970年代前半
創刊当初はいわゆる「根性物」が多く、誌面の特徴が当時の週刊少年マガジンと変わらなかったが、前述したように大物・ベテラン作家をあまり雇わず新人作家中心であった。当時のヒット作は、『ハレンチ学園』『父の魂』『男一匹ガキ大将』(1968年-)、『ど根性ガエル』『トイレット博士』(1970年-)、『侍ジャイアンツ』『荒野の少年イサム』(1971年-)、『アストロ球団』『マジンガーZ』(1972年-)、『包丁人味平』『プレイボール』(1973年-)など。特に、荒唐無稽で暴走的なストーリー展開の『アストロ球団』の人気がのちのジャンプの路線を決定付けた。1973年8月には、週刊少年マガジンを抜いて雑誌発行部数で首位となった。
1970年代後半
この時期、ギャグ漫画を多く掲載する週刊少年チャンピオンが発行部数を大きく伸ばし本誌と首位を争っており、本誌もギャグ漫画分野の強化に乗り出した。『1・2のアッホ!!』(1975年-)、『東大一直線』(1976年-)、『すすめ!!パイレーツ』(1977年-)がその代表的な作品である。ストーリー漫画では、『サーキットの狼』『ドーベルマン刑事』(1975年-)、『リングにかけろ』(1977年-)、『コブラ』(1978年)、『キン肉マン』(1979年-)がヒット作となる(ただし『キン肉マン』は当初ギャグ漫画であった)。また、1976年には少年漫画雑誌中、最長の連載記録を今も更新中である『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の連載も始まっている。
1980年代前半
この頃にはマンネリ化により退潮気味となった週刊少年チャンピオンに代わり、青春、スポーツ、恋愛の漫画を中心とした週刊少年サンデーが発行部数を伸ばしており、本誌でも少女、女性キャラクターに重きを置いた作品が多く登場する。『Dr.スランプ』『ハイスクール!奇面組(当時は『3年奇面組』)』(1980年-)、『ストップ!!ひばりくん!』『キャッツ♥アイ』(1981年-)、『キックオフ』(1982年-)、 『ウイングマン』(1983年-)、『きまぐれオレンジ☆ロード』(1984年-)などであり、いずれもヒット作となりアニメ化されている。1981年にはサッカーを題材にした大ヒット作『キャプテン翼』の連載も始まった。
その他のストーリー漫画では、『ブラックエンジェルズ』(1981年-)、『風魔の小次郎』『よろしくメカドック』(1982年)、『銀牙 -流れ星 銀-』(1983年)がヒットしたほか、1983年連載開始の『北斗の拳』は格闘技を題材にした漫画として爆発的な人気を博した。同じく格闘技漫画である『キン肉マン』もアニメ化などにより好評を得ており、本誌発行部数は急激に上昇していった。これら2作を嚆矢として以後本誌は「超人的な能力を持つものたちの格闘・戦闘」という定型を持つこととなる。
またこの時期から本誌は漫画雑誌としての側面が強くなり、アイドル・スポーツ選手などのグラビアは掲載されなくなった。
1980年代後半
1984年1・2号より、創刊以来使用されていた誌名ロゴを一新。この年に本誌を代表する作品ともいえる『DRAGON BALL』の連載が始まる。その後『魁!!男塾』『ついでにとんちんかん』『シティーハンター』(1985年-)、『聖闘士星矢』『県立海空高校野球部員山下たろーくん』(1986年-)、『ジョジョの奇妙な冒険』『燃える!お兄さん』(1987年-)、『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』『ろくでなしBLUES』『ジャングルの王者ターちゃん』『まじかる☆タルるートくん』(1988年-)、『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』『電影少女』(1989年)などヒット作を立て続けに世に送り出し、本誌は発行部数をさらに上昇させた。
1990年代前半
1990年になると、『SLAM DUNK』、『幽☆遊☆白書』が始まり、『DRAGON BALL』と合わせて「3本柱」と呼ばれる強力な看板作品が名を連ねることになった。1991年には異例の発行部数602万部を達成し、新聞紙の発行部数を抜いたことでマスコミにも取り上げられた。他方でもともとギャグ漫画やSF漫画として始まったものが人気を意識して「格闘漫画化」する傾向が目立つようになり、「誌面の一様化」「マンネリ化」を危惧する声も聞かれるようになった。内容的にも1980年代のヒット作が後味の悪い打ち切りをされたり、それらヒット作の模倣のような作品が多く現れた。当時の集英社内の体制変化により編集者の異動が激しくなった時期でもあり、ベテラン作家と編集部との意思疎通の齟齬が目立つようになってきた。
その他この時期の作品は『花の慶次』『珍遊記 -太郎とゆかいな仲間たち-』(1990年-)、『BØY』(1992年-)『地獄先生ぬ〜べ〜』『NINKU -忍空-』『とっても!ラッキーマン』(1993年-)『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』『みどりのマキバオー』(1994年-)など。以後さらに発行部数を上げ、1995年には653万部を記録した。
1990年代後半
1994年から1996年にかけて『幽☆遊☆白書』『ドラゴンボール』『SLAM DUNK』の「三本柱」が相次いで終了、以後発行部数は降下の傾向を示すようになる。その後は前記『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』『地獄先生ぬ〜べ〜』が本誌を牽引するヒット作となったほか、『遊☆戯☆王』『封神演義』(1996年-)『I"s』(1997年-)が人気作となり、『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』(1995年-)『幕張』(1996年-)のような特異なギャグ漫画も話題となったが、いずれも「三本柱」の穴を埋めるにはいたらず、発行部数も全盛期の3分の2ほどになり、1997年の49号で週刊少年マガジンによってついに発行部数首位の座を奪われた。
この時期は長年行われていなかったアイドルグラビアの掲載と『愛読者賞』の復活(企画に参加した連載作家のほとんどが連載を休載するなどあり1回で終了)、誌名ロゴの変更、表紙のイメージチェンジ[1]などの試行錯誤が続いた。
もっともその後は『ONE PIECE』(1997年-)、『HUNTER×HUNTER』(1998年-)と王道的な少年漫画があらたな看板作品として登場、ほかにも『花さか天使テンテンくん』『世紀末リーダー伝たけし』(1997年-)『ROOKIES』『ホイッスル!』『シャーマンキング』(1998年-)『ヒカルの碁』『テニスの王子様』『NARUTO -ナルト-』(1999年-)などがヒットし、部数の降下を辿りつつも首位争いの位置についていた。
2000年代〜現在
『BLACK CAT』『ピューと吹く!ジャガー』(2000年-)『ボボボーボ・ボーボボ』『Mr.FULLSWING』『BLEACH』(2001年-)『いちご100%』『アイシールド21』(2002年-)など人気作は多いが、1980年代の作品と似通った内容の作品も多いという古参読者からの指摘も依然多い。もっとも発行部数については週刊少年マガジンの方でも低下していたため、2002年に再び漫画誌の発行部数1位の座についている。
そのような中で2003年より開始された『DEATH NOTE』は、「死」を扱った重いストーリーや緊密な構成、アクションがほとんど無く台詞重視で話が進むなど、内容・表現ともに従来の「少年ジャンプ」の傾向とはかけ離れたものであったにも関わらずヒット作となり注目を集めた。その後は『銀魂』や『家庭教師ヒットマンREBORN!』、『D.Gray-man』(2004年-)などがアニメ化されており、連載作品の単行本売り上げは好調に推移している。
連載作品
週刊少年ジャンプ連載作品の一覧を参照。
発行部数
(判明分のみ)
1968年創刊号 10万5000部
1969年 最高24万部
1971年新年号 115万8000部
1974年 最高165万部
1977年新年号 188万部
1978年新年号 210万部
1979年新年号 280万部
1980年新年号 304万5000部
1981年新年号 308万部
1982年 342万部(年間平均)
1983年 371万部(年間平均)
1984年 390万部(年間平均)
1985年4-5号 403万部 37号 405万部 年間平均 450万部
1986年5号 435万5000部
1987年5号 450万部
1988年5号 485万部
1989年3-4号 500万部
1990年5号 530万部 21-22号 503万部 37号 520万部
1991年3-4号 602万部 21-22号 585万部 36-37号 615万部
1992年3-4号 618万部
1993年3-4号 638万部 36-37号 643万部
1994年3-4号 648万部 36-37号 650万部
1995年3-4号 653万部 歴代最高部数を記録。
1995年25号 「ドラゴンボール」終了。部数下降始まる。
1996年新年号 588万部
1996年27号 「SLAM DUNK」終了。部数低下に拍車が掛かる。
1997年 405万部(年間平均)
1997年週刊少年マガジンに発行部数で抜かれる。
1998年 360万部(年間平均)
1999年 363万部(年間平均)
2000年 363万部(年間平均)
2001年 340万部(年間平均)
2002年 320万部(年間平均)
2002年8月再び『週刊少年マガジン』の急降下で首位奪還。
2003年 300万部(年間平均)
2004年 300万部(年間平均)
2005年 295万部(年間平均)
2005年も雑誌発行部数は低迷するが、単行本の売れ行きは過去最高を記録。
2006年 2,953,750部(一月下記サイトにて確認)
2007年3月 2,839,792部(社団法人日本雑誌協会)
価格の変遷
()は特別定価、あるいはサービス定価。消費税導入以降は税込み価格。
創刊時〜1970年夏頃? 90円(100円?)
1970年秋頃?〜1971年秋頃? 80円(不明)
1971年冬頃?〜1973年春頃? 90円(100円)
1973年夏頃?〜1973年11月 100円(不明)
(1973年11月16日 第一次オイルショックに伴う「石油緊急対策要綱」を閣議決定)
1973年12月〜1976年春頃? 130円(150円)
1976年夏頃?〜1980年春頃? 150円(170円)
1980年夏頃?〜1989年3月 170円(180円、または190円)
1989年4月〜1990年8月 180円(190円)
(1989年4月1日に消費税3%が導入された)
1990年9月〜1995年12月 190円(200円、または210円)
1996年1月〜1997年3月 200円(210円、または220円)
1997年4月〜1998年6月? 210円(220円)
(1997年4月1日に消費税税率が5%に変更)
1998年7月?〜2004年4月 220円(230円)
2004年5月〜 230円(240円)
歴代の編集長
初代:長野規(1968年〜1974年)
2代:中野祐介(1974年〜1978年)
3代:西村繁男(1978年〜1986年)
4代:後藤広喜(1986年〜1993年)
5代:堀江信彦(1993年〜1996年)
6代:鳥嶋和彦(1996年〜2001年)
7代:高橋俊昌(2001年〜2003年)
8代:茨木政彦(2003年〜現在)
特徴
新人の登用と専属契約制度
創刊以来新人作家を積極的に登用しており、新人のチャンスが多い雑誌であると言える。一方で本誌でデビューした作家は必ず集英社と専属契約を結ぶ必要があり、連載が短期に終わった場合も簡単に他社で仕事を行う事ができない(各作品の欄外に、『○○先生の漫画が読めるのはジャンプだけ!』等と書いてある)。この点については新人を「飼い殺し」にしているとの批判も根強く、作家の中でも井上雄彦のように弁護士を立てて対抗した例もある(井上はその後講談社などでも仕事をしている)。また1960〜1970年代にジャンプに連載を持っていた小室孝太郎は編集部の都合で人気のあった連載が打ち切られた上、この制度のために他誌で仕事ができず、作品発表の場が持てなかったことをインタビューにて語っている[2]。本誌3代目編集長であった西村繁男も集英社退社後に出版した自著で「漫画家に対する執筆保証の項目が無い他、契約期間中は他誌との執筆交渉すらできないという点で、極めて編集部に有利な契約である」と、問題が存在することを認める発言をしている。
なお、この「専属契約制」はジャンプが一から育てた初の漫画家とも言える永井豪が『ハレンチ学園』の連載の傍ら他誌での連載を開始したことに危機感を覚えた当時の編集長の長野規が発案したものと言われている。ちなみに、同制度の適用第1号となったのは本宮ひろ志である。
アンケート至上主義
一般に漫画雑誌では読者アンケートを参考にして編集の方針を定めることが多いが、本誌では特にその傾向が強く、人気の無くなった連載作品はすぐに連載打ち切りの対象にされる。これは新人に限らずベテラン作家も同様で、すでに『リングにかけろ』や『風魔の小次郎』で人気作家となっていた車田正美が長期連載を予定していた『男坂』が30話で打ち切られた話は有名である。この「打ち切り」適用の厳しさのため、本誌では10〜20週程度で終了した短期連載作品が他誌と比べても際立って多い。逆に、読者人気の高い作品は作者の意向に反してまで連載を続行させられることが多い為、『北斗の拳』や『ドラゴンボール』など急遽新たな設定が追加され矛盾ができてしまったり、『ハイスクール!奇面組』のように強引な展開を用いて続けた事で読者に誤解を与えてしまった例や、『幽☆遊☆白書』が作者の意思で急に展開が早まり終了した例に加え、作者のモチベーションが低下しそれが作品に露呈することも少なくない。
この様な漫画家に過度の負担を強いるジャンプの連載体制は一部で「漫画家つぶし」とも言われている。また、2000年代に入ってからは打ち切り作品の「完結篇」を『赤マルジャンプ』に掲載したり、打ち切りまで一定の猶予期間を与えるなど、極端な10週打ち切りはほとんど無くなり、若干緩和されていた。しかし、2007年に入り『重機人間ユンボル』や『HAND'S -ハンズ-』、『神力契約者M&Y』など10週打ち切りが再開され、上記の月刊少年ジャンプが2007年7月号を持って休刊が決定している事と、それに伴い一部の作品が新雑誌の創刊までの間に月1連載での移籍が決定しているため今後も短期間での打ち切りが頻繁に行われる可能性もある。
この「アンケート至上主義」体制は、『アストロ球団』を連載中の中島徳博の「アンケートの結果を1週で出すようにして、サバイバルにせよ」という提案が発端となっている。ただし、その中島自身、『アストロ球団』連載中こそ良かったものの、その後の作品ではアンケート結果が芳しくなく、幾度も打ち切りの憂き目に遭い自身の首を絞める結果となった。
尚、アンケートの順位は掲載順にそのままの形で現れる為、掲載順の低迷が続くと打ち切りを危惧した一部読者がインターネット上などでアンケートの送付依頼活動を行うことが見られる(ただし、他の雑誌と同様に入稿の速さが影響する場合もある)。余談ではあるが、ネット上の呼称として打ち切りを「突き抜け」、低迷しても打ち切られずに連載が続くことを「ノルマン現象」と過去の連載作品を皮肉って呼ばれる事がある。
格闘漫画化
上記のアンケート重視の体制のため、連載作品が人気を得やすい「格闘漫画」に偏る傾向がある。また、元々ギャグ漫画やSF漫画などとして始まったものが後に「格闘漫画」化することも多い[3]。 その内容もある程度類型化しているため、誌面が似たような傾向の作品で占められているとの批判も1990年代以降多く聞かれるようになっている。『ジャングルの王者ターちゃん』などは前半は『シェイプアップ乱』のような下ネタギャグコメディであった。『とっても!ラッキーマン』なども大きく変わった。
なお「類型」の代表的なものとしては、『ドラゴンボール』にみられるように「苦労して強い敵を倒すも、またさらに強い敵が現れ立ち向かっていく」という構成のため主人公が際限なく強くなっていくというパワーインフレーションや、同じく『DRAGON BALL』の「天下一武道会」に代表されるトーナメント形式の導入、『ジョジョの奇妙な冒険』の「スタンド能力」のように、登場人物にそれぞれ違った種類の超能力が割り当てられる「特殊能力化」などがある。それぞれ登場時には魅力的であったが、何度もアイディアが使われパターン化した結果、定期購読者が雑誌を離れる一因となっている。
作品のアニメ・映像化
『少年ジャンプ』の人気作品はそのほとんどがテレビアニメ化されているが、かつての『ジャンプ』編集部は作品のアニメ化には乗り気ではなかったと言われる。当時多くの出版社がそう考えていたように、読者がアニメを見て事足りてしまい、雑誌や単行本の売れ行きが落ちるのではないかと懸念したためである。
転機となったのは1981年の『Dr.スランプ』のアニメ化である。この作品については在京の複数のテレビ局からオファーがあり、中でも当時編成局長(通常の会社の部長級幹部に相当する)であった日枝久が何度も集英社を訪ねたというほどの、フジテレビの熱烈な要望に集英社側が折れる形でアニメ化を許諾した作品であった。しかし、このアニメがもたらした雑誌や単行本との相乗効果や、これに派生したキャラクター商品による版権収入は集英社の想像をはるかに超えたものがあり、これ以後集英社は自社作品のアニメ化に積極的になった。
しかし近年では同誌自体の影響力の低下に加え、4大キー局各局で全日帯アニメ枠削減もあって(4大キー局でのゴールデンタイム帯放映作品は、2006年10月に枠降格となった『ONE PIECE』を最後に消滅)、テレビ東京系列放映でのアニメ化が増えている。
他誌のアニメ化作品に比べて深夜枠で放送された作品は少なく、『BØY』『BLACK CAT』『いちご100%』『DEATH NOTE』『武装錬金』など、放映時にはすでに本誌での連載が終了していた作品が多い。
アニメ化に際して、そのストーリーが漫画に追いつくと物語の展開をダイジェストやアニメ独自の展開で引き伸ばす傾向があり、ファンからは度々問題視されている。連載中のアニメ化は多くの商業的効果が望めるが、その品質を一定以上に保つ事は皮肉にも読者に人気がある長期連載ほど難しくなっている。
女性向け同人誌
『少年ジャンプ』の連載作品は、他の少年誌と比べて女性向け同人誌(特に「やおい」「ボーイズラブ」と呼ばれるもの)の題材となることが非常に多い。発端は『キャプテン翼』ブームと言われ、この作品をきっかけに女性読者が急増したと言われている。
また、同趣のアンソロジーコミックもオークラ出版など他社から多数発行されており、青磁ビブロスの『聖闘士星矢』を題材にした同人誌アンソロジーシリーズ『メイドイン星矢』は数十冊にわたって発行された。無断で出版されているものについて集英社は訴訟など表だった動きを見せていない。
サブコーナー
読者コーナー
ジャンプ海賊ワールド(?〜1982年)
ジャンプ放送局(JBS)(1982年〜1995年) - 1レース(半年)ごとにポイント集計し優勝者を決める方式。読者コーナーとしては珍しく、単行本化された。さくまあきら、土居孝幸、榎本一夫、横山智佐らが出演。
ジャンポスト(1996年) - 地方別のリーグ戦形式であったが、人気低迷で1レースのみ(半年)で打ち切られ、それ以降「ジャンプ団」開始までは読者コーナーのない状態が続いた。
ハガキ戦士 ジャンプ団(1997年〜2001年) - ハガキ紹介に漫画の要素をプラス。シーズンごとに設定されたノルマをクリアできればシーズン終了。出演は井沢ひろし、石塚祐子など。
じゃんぷる(2001年〜2005年) - 『ジャンプ団』終了の数週間後より、スタッフの一部を変更してリニューアルスタート。井沢、石塚は引き続き出演。『JBS』に近い形式だった。
ジャンプ魂(2006年〜) - 『じゃんぷる』をリニューアルさせてスタート。井沢は引き続き参加。「じゃんぷる」ではアルバイトだった山下慎一郎が正規メンバー、アシスタントには中川翔子を迎えた(イラストが描けるという事と、『アイシールド21』で声優を務めている事から)。
ゲーム紹介コーナー
ファミコン神拳110番(1985年〜1988年?)
芸魔団(げ〜まだん)(1988年?〜1992年)
V-NET(1992年〜1998年)
ジャンG堂(ジャンゲどう)(1998年〜1999年)
ジャンG塾(ジャンゲじゅく)(1999年〜2003年?)
チームG59上!!(チームゲコクジョー)(2003年?〜)
英雄ゲー+(ひーろげーぷらす)2005〜
新人漫画家の募集企画
年に1回行われる企画
ストーリーキング(1998年〜2005年)
ストキン炎(2006年〜)
ギャグキング(1989年〜199?年、2000年)
金未来杯(2004年〜2005年)
年に2回行われる企画
手塚賞 - 月刊少年ジャンプと共同募集
赤塚賞 - 月刊少年ジャンプと共同募集
毎月行われる企画
新人漫画賞(1968年〜1972年?)
ヤングジャンプ賞(1973年?〜1979年)
フレッシュジャンプ賞(1979年〜1982年)
ホップ☆ステップ賞(1982年〜1996年)
天下一漫画賞(1996年〜2002年)
十二傑新人漫画賞(2003年〜2007年)
JUMPトレジャー新人漫画賞(2007年〜)
愛読者賞
1973年〜1983年、1997年に行われた。読者アンケートで選ばれた10人の作家が45ページの読切作品を執筆する。掲載する順番はクジで決める。1位に選ばれた作家は海外旅行のプレゼントがあった。
イベント
ジャンプフェスタ
ジャンプ検定
ジャンプ・アニメツアー
日本国外の少年ジャンプ
2006年現在、『少年ジャンプ』は日本国外でも発行され、『DRAGON BALL』『ONE PIECE』などの名作が翻訳されている。
ドイツ
"BANZAI!" を参照。2001年10月、ドイツの企業カールセンにより創刊。公式サイト(ドイツ語)
[編集] アメリカ
2002年11月26日創刊。VIZ Comminucation Inc.(現VIZ Media) 発行。公式サイト(英語)
韓国
中国
週刊少年ジャンプ事件史
これまでに本誌が回収騒ぎになったことは2回ある。または漫画表現の過激さや作者の不祥事により連載が打ち切り寸前、もしくは打ち切りに至ったケースもある。それらの原因となった作品とそれぞれの詳細について以下に示す。
ハレンチ学園ブーム事件
『ハレンチ学園』(永井豪)が問題となった現象。
1968年の創刊号から連載したこの作品の影響で、全国の学校でスカートめくりなどの「ハレンチな」行為が流行してしまいPTAから抗議が来たが、『ジャンプ』は漫画表現の多様性という名の下に連載を続行。この件に関する限りは、編集部はむしろ権力に負けずに連載を続けたことを誇りにしている節がある(『ジャンプ』30周年の時の特集でそのようなコメントが見られた)。
私立極道高校・無断掲載事件
『私立極道高校』(宮下あきら)が問題となった事件。
理由は滋賀県にある実在の中学校名と校章、そして卒業生の名前を無断で作品内に掲載して滋賀県教育委員会から抗議を受けたため(この行為はプライバシーの侵害にもあたる)。1980年第9号と第10号が回収され、『私立極道高校』は第11号で打ち切りにされてしまった。ストーリーは41話まで連載されていたが、単行本は読切版の1話と連載最初の6話を収録した1巻しか発売されておらず、その単行本も事件がきっかけで絶版となってしまった。なお、回収に協力した人には、アドレス帳が送られた。
宮下の次作である『激!!極虎一家』には極道高校を退学した学帽政たちなど、極道高校キャラが多数登場している。
燃える!お兄さん・中傷事件
1990年第45号の『燃える!お兄さん』(佐藤正)が問題となった事件。
問題となった内容は、主人公の担任である教諭が仕事上の失敗から担任を外され同校の用務員をすることになり、それにたいして主人公が「先生ではなく用務員になったのだから何をしても構わない」という理屈の元に、その先生にやりたい放題するというもの。
この号が発売された直後から「用務員をバカにしている」などの抗議が用務員組合や読者等から殺到し、中傷していたという事態を重く見た本誌編集部はその掲載号を回収するという決断に至った。掲載号を集英社に郵送すると、本誌のマークが入ったシャープペンシルが貰えた。後に発行された単行本でもこの回は不掲載となった。
なお、ストーリー上で、この教諭が居なくなった事については、最終回近くの登場人物のセリフによって「謎の転勤」によるものだったと説明される事になった。
世紀末リーダー伝 たけし!・作者逮捕事件
2002年、『世紀末リーダー伝たけし!』の作者であった島袋光年が児童買春の疑いで逮捕された事件。
人気のあった同作品であるが、この事件を受けて同作品は同年37・38合併号での掲載を最後に打ち切られ、単行本も発売中止となってしまった。39号には、その旨を読者に知らせる文面が掲載された。
その後、島袋は謹慎期間を経て青年漫画誌『スーパージャンプ』にて復帰し(その際に「関係者に多大な迷惑をかけた」とコメント欄で謝罪)、絶版となっていた単行本も「ワイド判」として再刊、『たけし』が「スーパージャンプ」で連載が再開されたのち完結した。
関連ゲーム
以下に挙げるのは、週刊少年ジャンプをテーマに扱ったゲームソフトである。
ファミコンジャンプ 英雄列伝(ファミリーコンピュータ、アクションRPG、1988年2月15日、バンダイ)
ファミコンジャンプII 最強の7人(ファミリーコンピュータ、RPG、1991年12月2日、バンダイ)
カルトジャンプ(ゲームボーイ、クイズゲーム、1993年9月10日、バンダイ)
ジャンプスーパースターズ(ニンテンドーDS、格闘アクション、2005年8月8日、任天堂)
バトルスタジアム D.O.N(ニンテンドーゲームキューブ、プレイステーション2,アクションゲーム、2006年7月20日、バンダイナムコゲームス)
ジャンプアルティメットスターズ(ニンテンドーDS、格闘アクション、2006年11月23日、任天堂)ジャンプスーパースターズの続編。
脚注
^ ビックリマンシールで定着していたホログラム加工を取り入れたり、裏表の表紙をイラストとした「W表紙」などがあったが、代わりに雑誌の価格が上昇し一部では不評であった。
^ 『まんが秘宝Vol.2 つっぱりアナーキー王』 洋泉社、1997年。
^ その典型的パターンとして、開始当初は四畳半に暮らす牛丼好きのダメ超人を主人公に描くギャグ漫画であった『キン肉マン』や、当初は劇中でギャグマンガであることを匂わせていた『DRAGON BALL』、他に 『まじかる☆タルるートくん』などが挙げられる。
関連項目
ジャンプショップ
週刊ヤングジャンプ
ビジネスジャンプ
スーパージャンプ
ウルトラジャンプ
月刊少年ジャンプ
フレッシュジャンプ
Vジャンプ
赤マルジャンプ
ジャンプスクエア
ジャンプコミックス
東宝
東映
東映アニメーション
ぴえろ
サンライズ
TBSテレビ
フジテレビジョン
集英社
SCHOOL OF LOCK!
関連書籍
西村繁男 「さらばわが青春の『少年ジャンプ』」
飛鳥新社、1994年5月。ISBN 4870311720
幻冬舎、1997年11月。ISBN 4877285253
創刊から立ち会った元編集長が綴った内幕。
西村繁男 『漫画王国の崩壊』 ぶんか社、1998年3月。ISBN 482110606X
「さらばわが青春の『少年ジャンプ』」の続編的物語。前作より生々しい内容なので、登場人物は全員仮名になっている。
本宮ひろ志 『天然まんが家』 集英社、2001年10月。ISBN 408780335X
『週刊少年ジャンプ』黎明期の看板作家の自伝。漫画家側から見た『少年ジャンプ』史としても読める ウイキペディアより抜粋
通称「ジャンプ」、略称WJ(Weekly Jump)。1968年7月11日に同年の8月1日号として創刊。創刊時は月2回(第2・第4木曜日)発売、1969年10月から週刊化された。毎週火曜日発売、2007年現在は毎週月曜日発売。シンボルマークは海賊マーク(ジャンプパイレーツ)。雑誌キーワードは「友情」「努力」「勝利」。しかし、2000年頃からこれにとらわれない重い雰囲気のシリアスな作品も増えつつある。
創刊時に後発の少年漫画誌として当時の人気漫画家を確保出来なかったため、連載陣のごく少数を除き、全て専属契約の新人で揃えることとなった。これは新人発掘に効果を発揮し、ジャンプ躍進の原動力となった。週刊少年漫画雑誌で最大部数を誇るようになった現在も、この方針は継承されている。初の漫画専門誌であり、この人気により少年向け総合誌だった他誌も漫画専門誌へと移行するきっかけとなった。
講談社の『週刊少年マガジン』や、秋田書店の『週刊少年チャンピオン』で掲載されているような表紙および巻頭でのスポーツ選手やアイドルのグラビアは、1970年代後半から1980年代前半までと、1990年代後半の一時期にはあったが、現在は載っていない。
歴史
1968年(創刊)〜1970年代前半
創刊当初はいわゆる「根性物」が多く、誌面の特徴が当時の週刊少年マガジンと変わらなかったが、前述したように大物・ベテラン作家をあまり雇わず新人作家中心であった。当時のヒット作は、『ハレンチ学園』『父の魂』『男一匹ガキ大将』(1968年-)、『ど根性ガエル』『トイレット博士』(1970年-)、『侍ジャイアンツ』『荒野の少年イサム』(1971年-)、『アストロ球団』『マジンガーZ』(1972年-)、『包丁人味平』『プレイボール』(1973年-)など。特に、荒唐無稽で暴走的なストーリー展開の『アストロ球団』の人気がのちのジャンプの路線を決定付けた。1973年8月には、週刊少年マガジンを抜いて雑誌発行部数で首位となった。
1970年代後半
この時期、ギャグ漫画を多く掲載する週刊少年チャンピオンが発行部数を大きく伸ばし本誌と首位を争っており、本誌もギャグ漫画分野の強化に乗り出した。『1・2のアッホ!!』(1975年-)、『東大一直線』(1976年-)、『すすめ!!パイレーツ』(1977年-)がその代表的な作品である。ストーリー漫画では、『サーキットの狼』『ドーベルマン刑事』(1975年-)、『リングにかけろ』(1977年-)、『コブラ』(1978年)、『キン肉マン』(1979年-)がヒット作となる(ただし『キン肉マン』は当初ギャグ漫画であった)。また、1976年には少年漫画雑誌中、最長の連載記録を今も更新中である『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の連載も始まっている。
1980年代前半
この頃にはマンネリ化により退潮気味となった週刊少年チャンピオンに代わり、青春、スポーツ、恋愛の漫画を中心とした週刊少年サンデーが発行部数を伸ばしており、本誌でも少女、女性キャラクターに重きを置いた作品が多く登場する。『Dr.スランプ』『ハイスクール!奇面組(当時は『3年奇面組』)』(1980年-)、『ストップ!!ひばりくん!』『キャッツ♥アイ』(1981年-)、『キックオフ』(1982年-)、 『ウイングマン』(1983年-)、『きまぐれオレンジ☆ロード』(1984年-)などであり、いずれもヒット作となりアニメ化されている。1981年にはサッカーを題材にした大ヒット作『キャプテン翼』の連載も始まった。
その他のストーリー漫画では、『ブラックエンジェルズ』(1981年-)、『風魔の小次郎』『よろしくメカドック』(1982年)、『銀牙 -流れ星 銀-』(1983年)がヒットしたほか、1983年連載開始の『北斗の拳』は格闘技を題材にした漫画として爆発的な人気を博した。同じく格闘技漫画である『キン肉マン』もアニメ化などにより好評を得ており、本誌発行部数は急激に上昇していった。これら2作を嚆矢として以後本誌は「超人的な能力を持つものたちの格闘・戦闘」という定型を持つこととなる。
またこの時期から本誌は漫画雑誌としての側面が強くなり、アイドル・スポーツ選手などのグラビアは掲載されなくなった。
1980年代後半
1984年1・2号より、創刊以来使用されていた誌名ロゴを一新。この年に本誌を代表する作品ともいえる『DRAGON BALL』の連載が始まる。その後『魁!!男塾』『ついでにとんちんかん』『シティーハンター』(1985年-)、『聖闘士星矢』『県立海空高校野球部員山下たろーくん』(1986年-)、『ジョジョの奇妙な冒険』『燃える!お兄さん』(1987年-)、『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』『ろくでなしBLUES』『ジャングルの王者ターちゃん』『まじかる☆タルるートくん』(1988年-)、『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』『電影少女』(1989年)などヒット作を立て続けに世に送り出し、本誌は発行部数をさらに上昇させた。
1990年代前半
1990年になると、『SLAM DUNK』、『幽☆遊☆白書』が始まり、『DRAGON BALL』と合わせて「3本柱」と呼ばれる強力な看板作品が名を連ねることになった。1991年には異例の発行部数602万部を達成し、新聞紙の発行部数を抜いたことでマスコミにも取り上げられた。他方でもともとギャグ漫画やSF漫画として始まったものが人気を意識して「格闘漫画化」する傾向が目立つようになり、「誌面の一様化」「マンネリ化」を危惧する声も聞かれるようになった。内容的にも1980年代のヒット作が後味の悪い打ち切りをされたり、それらヒット作の模倣のような作品が多く現れた。当時の集英社内の体制変化により編集者の異動が激しくなった時期でもあり、ベテラン作家と編集部との意思疎通の齟齬が目立つようになってきた。
その他この時期の作品は『花の慶次』『珍遊記 -太郎とゆかいな仲間たち-』(1990年-)、『BØY』(1992年-)『地獄先生ぬ〜べ〜』『NINKU -忍空-』『とっても!ラッキーマン』(1993年-)『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』『みどりのマキバオー』(1994年-)など。以後さらに発行部数を上げ、1995年には653万部を記録した。
1990年代後半
1994年から1996年にかけて『幽☆遊☆白書』『ドラゴンボール』『SLAM DUNK』の「三本柱」が相次いで終了、以後発行部数は降下の傾向を示すようになる。その後は前記『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』『地獄先生ぬ〜べ〜』が本誌を牽引するヒット作となったほか、『遊☆戯☆王』『封神演義』(1996年-)『I"s』(1997年-)が人気作となり、『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』(1995年-)『幕張』(1996年-)のような特異なギャグ漫画も話題となったが、いずれも「三本柱」の穴を埋めるにはいたらず、発行部数も全盛期の3分の2ほどになり、1997年の49号で週刊少年マガジンによってついに発行部数首位の座を奪われた。
この時期は長年行われていなかったアイドルグラビアの掲載と『愛読者賞』の復活(企画に参加した連載作家のほとんどが連載を休載するなどあり1回で終了)、誌名ロゴの変更、表紙のイメージチェンジ[1]などの試行錯誤が続いた。
もっともその後は『ONE PIECE』(1997年-)、『HUNTER×HUNTER』(1998年-)と王道的な少年漫画があらたな看板作品として登場、ほかにも『花さか天使テンテンくん』『世紀末リーダー伝たけし』(1997年-)『ROOKIES』『ホイッスル!』『シャーマンキング』(1998年-)『ヒカルの碁』『テニスの王子様』『NARUTO -ナルト-』(1999年-)などがヒットし、部数の降下を辿りつつも首位争いの位置についていた。
2000年代〜現在
『BLACK CAT』『ピューと吹く!ジャガー』(2000年-)『ボボボーボ・ボーボボ』『Mr.FULLSWING』『BLEACH』(2001年-)『いちご100%』『アイシールド21』(2002年-)など人気作は多いが、1980年代の作品と似通った内容の作品も多いという古参読者からの指摘も依然多い。もっとも発行部数については週刊少年マガジンの方でも低下していたため、2002年に再び漫画誌の発行部数1位の座についている。
そのような中で2003年より開始された『DEATH NOTE』は、「死」を扱った重いストーリーや緊密な構成、アクションがほとんど無く台詞重視で話が進むなど、内容・表現ともに従来の「少年ジャンプ」の傾向とはかけ離れたものであったにも関わらずヒット作となり注目を集めた。その後は『銀魂』や『家庭教師ヒットマンREBORN!』、『D.Gray-man』(2004年-)などがアニメ化されており、連載作品の単行本売り上げは好調に推移している。
連載作品
週刊少年ジャンプ連載作品の一覧を参照。
発行部数
(判明分のみ)
1968年創刊号 10万5000部
1969年 最高24万部
1971年新年号 115万8000部
1974年 最高165万部
1977年新年号 188万部
1978年新年号 210万部
1979年新年号 280万部
1980年新年号 304万5000部
1981年新年号 308万部
1982年 342万部(年間平均)
1983年 371万部(年間平均)
1984年 390万部(年間平均)
1985年4-5号 403万部 37号 405万部 年間平均 450万部
1986年5号 435万5000部
1987年5号 450万部
1988年5号 485万部
1989年3-4号 500万部
1990年5号 530万部 21-22号 503万部 37号 520万部
1991年3-4号 602万部 21-22号 585万部 36-37号 615万部
1992年3-4号 618万部
1993年3-4号 638万部 36-37号 643万部
1994年3-4号 648万部 36-37号 650万部
1995年3-4号 653万部 歴代最高部数を記録。
1995年25号 「ドラゴンボール」終了。部数下降始まる。
1996年新年号 588万部
1996年27号 「SLAM DUNK」終了。部数低下に拍車が掛かる。
1997年 405万部(年間平均)
1997年週刊少年マガジンに発行部数で抜かれる。
1998年 360万部(年間平均)
1999年 363万部(年間平均)
2000年 363万部(年間平均)
2001年 340万部(年間平均)
2002年 320万部(年間平均)
2002年8月再び『週刊少年マガジン』の急降下で首位奪還。
2003年 300万部(年間平均)
2004年 300万部(年間平均)
2005年 295万部(年間平均)
2005年も雑誌発行部数は低迷するが、単行本の売れ行きは過去最高を記録。
2006年 2,953,750部(一月下記サイトにて確認)
2007年3月 2,839,792部(社団法人日本雑誌協会)
価格の変遷
()は特別定価、あるいはサービス定価。消費税導入以降は税込み価格。
創刊時〜1970年夏頃? 90円(100円?)
1970年秋頃?〜1971年秋頃? 80円(不明)
1971年冬頃?〜1973年春頃? 90円(100円)
1973年夏頃?〜1973年11月 100円(不明)
(1973年11月16日 第一次オイルショックに伴う「石油緊急対策要綱」を閣議決定)
1973年12月〜1976年春頃? 130円(150円)
1976年夏頃?〜1980年春頃? 150円(170円)
1980年夏頃?〜1989年3月 170円(180円、または190円)
1989年4月〜1990年8月 180円(190円)
(1989年4月1日に消費税3%が導入された)
1990年9月〜1995年12月 190円(200円、または210円)
1996年1月〜1997年3月 200円(210円、または220円)
1997年4月〜1998年6月? 210円(220円)
(1997年4月1日に消費税税率が5%に変更)
1998年7月?〜2004年4月 220円(230円)
2004年5月〜 230円(240円)
歴代の編集長
初代:長野規(1968年〜1974年)
2代:中野祐介(1974年〜1978年)
3代:西村繁男(1978年〜1986年)
4代:後藤広喜(1986年〜1993年)
5代:堀江信彦(1993年〜1996年)
6代:鳥嶋和彦(1996年〜2001年)
7代:高橋俊昌(2001年〜2003年)
8代:茨木政彦(2003年〜現在)
特徴
新人の登用と専属契約制度
創刊以来新人作家を積極的に登用しており、新人のチャンスが多い雑誌であると言える。一方で本誌でデビューした作家は必ず集英社と専属契約を結ぶ必要があり、連載が短期に終わった場合も簡単に他社で仕事を行う事ができない(各作品の欄外に、『○○先生の漫画が読めるのはジャンプだけ!』等と書いてある)。この点については新人を「飼い殺し」にしているとの批判も根強く、作家の中でも井上雄彦のように弁護士を立てて対抗した例もある(井上はその後講談社などでも仕事をしている)。また1960〜1970年代にジャンプに連載を持っていた小室孝太郎は編集部の都合で人気のあった連載が打ち切られた上、この制度のために他誌で仕事ができず、作品発表の場が持てなかったことをインタビューにて語っている[2]。本誌3代目編集長であった西村繁男も集英社退社後に出版した自著で「漫画家に対する執筆保証の項目が無い他、契約期間中は他誌との執筆交渉すらできないという点で、極めて編集部に有利な契約である」と、問題が存在することを認める発言をしている。
なお、この「専属契約制」はジャンプが一から育てた初の漫画家とも言える永井豪が『ハレンチ学園』の連載の傍ら他誌での連載を開始したことに危機感を覚えた当時の編集長の長野規が発案したものと言われている。ちなみに、同制度の適用第1号となったのは本宮ひろ志である。
アンケート至上主義
一般に漫画雑誌では読者アンケートを参考にして編集の方針を定めることが多いが、本誌では特にその傾向が強く、人気の無くなった連載作品はすぐに連載打ち切りの対象にされる。これは新人に限らずベテラン作家も同様で、すでに『リングにかけろ』や『風魔の小次郎』で人気作家となっていた車田正美が長期連載を予定していた『男坂』が30話で打ち切られた話は有名である。この「打ち切り」適用の厳しさのため、本誌では10〜20週程度で終了した短期連載作品が他誌と比べても際立って多い。逆に、読者人気の高い作品は作者の意向に反してまで連載を続行させられることが多い為、『北斗の拳』や『ドラゴンボール』など急遽新たな設定が追加され矛盾ができてしまったり、『ハイスクール!奇面組』のように強引な展開を用いて続けた事で読者に誤解を与えてしまった例や、『幽☆遊☆白書』が作者の意思で急に展開が早まり終了した例に加え、作者のモチベーションが低下しそれが作品に露呈することも少なくない。
この様な漫画家に過度の負担を強いるジャンプの連載体制は一部で「漫画家つぶし」とも言われている。また、2000年代に入ってからは打ち切り作品の「完結篇」を『赤マルジャンプ』に掲載したり、打ち切りまで一定の猶予期間を与えるなど、極端な10週打ち切りはほとんど無くなり、若干緩和されていた。しかし、2007年に入り『重機人間ユンボル』や『HAND'S -ハンズ-』、『神力契約者M&Y』など10週打ち切りが再開され、上記の月刊少年ジャンプが2007年7月号を持って休刊が決定している事と、それに伴い一部の作品が新雑誌の創刊までの間に月1連載での移籍が決定しているため今後も短期間での打ち切りが頻繁に行われる可能性もある。
この「アンケート至上主義」体制は、『アストロ球団』を連載中の中島徳博の「アンケートの結果を1週で出すようにして、サバイバルにせよ」という提案が発端となっている。ただし、その中島自身、『アストロ球団』連載中こそ良かったものの、その後の作品ではアンケート結果が芳しくなく、幾度も打ち切りの憂き目に遭い自身の首を絞める結果となった。
尚、アンケートの順位は掲載順にそのままの形で現れる為、掲載順の低迷が続くと打ち切りを危惧した一部読者がインターネット上などでアンケートの送付依頼活動を行うことが見られる(ただし、他の雑誌と同様に入稿の速さが影響する場合もある)。余談ではあるが、ネット上の呼称として打ち切りを「突き抜け」、低迷しても打ち切られずに連載が続くことを「ノルマン現象」と過去の連載作品を皮肉って呼ばれる事がある。
格闘漫画化
上記のアンケート重視の体制のため、連載作品が人気を得やすい「格闘漫画」に偏る傾向がある。また、元々ギャグ漫画やSF漫画などとして始まったものが後に「格闘漫画」化することも多い[3]。 その内容もある程度類型化しているため、誌面が似たような傾向の作品で占められているとの批判も1990年代以降多く聞かれるようになっている。『ジャングルの王者ターちゃん』などは前半は『シェイプアップ乱』のような下ネタギャグコメディであった。『とっても!ラッキーマン』なども大きく変わった。
なお「類型」の代表的なものとしては、『ドラゴンボール』にみられるように「苦労して強い敵を倒すも、またさらに強い敵が現れ立ち向かっていく」という構成のため主人公が際限なく強くなっていくというパワーインフレーションや、同じく『DRAGON BALL』の「天下一武道会」に代表されるトーナメント形式の導入、『ジョジョの奇妙な冒険』の「スタンド能力」のように、登場人物にそれぞれ違った種類の超能力が割り当てられる「特殊能力化」などがある。それぞれ登場時には魅力的であったが、何度もアイディアが使われパターン化した結果、定期購読者が雑誌を離れる一因となっている。
作品のアニメ・映像化
『少年ジャンプ』の人気作品はそのほとんどがテレビアニメ化されているが、かつての『ジャンプ』編集部は作品のアニメ化には乗り気ではなかったと言われる。当時多くの出版社がそう考えていたように、読者がアニメを見て事足りてしまい、雑誌や単行本の売れ行きが落ちるのではないかと懸念したためである。
転機となったのは1981年の『Dr.スランプ』のアニメ化である。この作品については在京の複数のテレビ局からオファーがあり、中でも当時編成局長(通常の会社の部長級幹部に相当する)であった日枝久が何度も集英社を訪ねたというほどの、フジテレビの熱烈な要望に集英社側が折れる形でアニメ化を許諾した作品であった。しかし、このアニメがもたらした雑誌や単行本との相乗効果や、これに派生したキャラクター商品による版権収入は集英社の想像をはるかに超えたものがあり、これ以後集英社は自社作品のアニメ化に積極的になった。
しかし近年では同誌自体の影響力の低下に加え、4大キー局各局で全日帯アニメ枠削減もあって(4大キー局でのゴールデンタイム帯放映作品は、2006年10月に枠降格となった『ONE PIECE』を最後に消滅)、テレビ東京系列放映でのアニメ化が増えている。
他誌のアニメ化作品に比べて深夜枠で放送された作品は少なく、『BØY』『BLACK CAT』『いちご100%』『DEATH NOTE』『武装錬金』など、放映時にはすでに本誌での連載が終了していた作品が多い。
アニメ化に際して、そのストーリーが漫画に追いつくと物語の展開をダイジェストやアニメ独自の展開で引き伸ばす傾向があり、ファンからは度々問題視されている。連載中のアニメ化は多くの商業的効果が望めるが、その品質を一定以上に保つ事は皮肉にも読者に人気がある長期連載ほど難しくなっている。
女性向け同人誌
『少年ジャンプ』の連載作品は、他の少年誌と比べて女性向け同人誌(特に「やおい」「ボーイズラブ」と呼ばれるもの)の題材となることが非常に多い。発端は『キャプテン翼』ブームと言われ、この作品をきっかけに女性読者が急増したと言われている。
また、同趣のアンソロジーコミックもオークラ出版など他社から多数発行されており、青磁ビブロスの『聖闘士星矢』を題材にした同人誌アンソロジーシリーズ『メイドイン星矢』は数十冊にわたって発行された。無断で出版されているものについて集英社は訴訟など表だった動きを見せていない。
サブコーナー
読者コーナー
ジャンプ海賊ワールド(?〜1982年)
ジャンプ放送局(JBS)(1982年〜1995年) - 1レース(半年)ごとにポイント集計し優勝者を決める方式。読者コーナーとしては珍しく、単行本化された。さくまあきら、土居孝幸、榎本一夫、横山智佐らが出演。
ジャンポスト(1996年) - 地方別のリーグ戦形式であったが、人気低迷で1レースのみ(半年)で打ち切られ、それ以降「ジャンプ団」開始までは読者コーナーのない状態が続いた。
ハガキ戦士 ジャンプ団(1997年〜2001年) - ハガキ紹介に漫画の要素をプラス。シーズンごとに設定されたノルマをクリアできればシーズン終了。出演は井沢ひろし、石塚祐子など。
じゃんぷる(2001年〜2005年) - 『ジャンプ団』終了の数週間後より、スタッフの一部を変更してリニューアルスタート。井沢、石塚は引き続き出演。『JBS』に近い形式だった。
ジャンプ魂(2006年〜) - 『じゃんぷる』をリニューアルさせてスタート。井沢は引き続き参加。「じゃんぷる」ではアルバイトだった山下慎一郎が正規メンバー、アシスタントには中川翔子を迎えた(イラストが描けるという事と、『アイシールド21』で声優を務めている事から)。
ゲーム紹介コーナー
ファミコン神拳110番(1985年〜1988年?)
芸魔団(げ〜まだん)(1988年?〜1992年)
V-NET(1992年〜1998年)
ジャンG堂(ジャンゲどう)(1998年〜1999年)
ジャンG塾(ジャンゲじゅく)(1999年〜2003年?)
チームG59上!!(チームゲコクジョー)(2003年?〜)
英雄ゲー+(ひーろげーぷらす)2005〜
新人漫画家の募集企画
年に1回行われる企画
ストーリーキング(1998年〜2005年)
ストキン炎(2006年〜)
ギャグキング(1989年〜199?年、2000年)
金未来杯(2004年〜2005年)
年に2回行われる企画
手塚賞 - 月刊少年ジャンプと共同募集
赤塚賞 - 月刊少年ジャンプと共同募集
毎月行われる企画
新人漫画賞(1968年〜1972年?)
ヤングジャンプ賞(1973年?〜1979年)
フレッシュジャンプ賞(1979年〜1982年)
ホップ☆ステップ賞(1982年〜1996年)
天下一漫画賞(1996年〜2002年)
十二傑新人漫画賞(2003年〜2007年)
JUMPトレジャー新人漫画賞(2007年〜)
愛読者賞
1973年〜1983年、1997年に行われた。読者アンケートで選ばれた10人の作家が45ページの読切作品を執筆する。掲載する順番はクジで決める。1位に選ばれた作家は海外旅行のプレゼントがあった。
イベント
ジャンプフェスタ
ジャンプ検定
ジャンプ・アニメツアー
日本国外の少年ジャンプ
2006年現在、『少年ジャンプ』は日本国外でも発行され、『DRAGON BALL』『ONE PIECE』などの名作が翻訳されている。
ドイツ
"BANZAI!" を参照。2001年10月、ドイツの企業カールセンにより創刊。公式サイト(ドイツ語)
[編集] アメリカ
2002年11月26日創刊。VIZ Comminucation Inc.(現VIZ Media) 発行。公式サイト(英語)
韓国
中国
週刊少年ジャンプ事件史
これまでに本誌が回収騒ぎになったことは2回ある。または漫画表現の過激さや作者の不祥事により連載が打ち切り寸前、もしくは打ち切りに至ったケースもある。それらの原因となった作品とそれぞれの詳細について以下に示す。
ハレンチ学園ブーム事件
『ハレンチ学園』(永井豪)が問題となった現象。
1968年の創刊号から連載したこの作品の影響で、全国の学校でスカートめくりなどの「ハレンチな」行為が流行してしまいPTAから抗議が来たが、『ジャンプ』は漫画表現の多様性という名の下に連載を続行。この件に関する限りは、編集部はむしろ権力に負けずに連載を続けたことを誇りにしている節がある(『ジャンプ』30周年の時の特集でそのようなコメントが見られた)。
私立極道高校・無断掲載事件
『私立極道高校』(宮下あきら)が問題となった事件。
理由は滋賀県にある実在の中学校名と校章、そして卒業生の名前を無断で作品内に掲載して滋賀県教育委員会から抗議を受けたため(この行為はプライバシーの侵害にもあたる)。1980年第9号と第10号が回収され、『私立極道高校』は第11号で打ち切りにされてしまった。ストーリーは41話まで連載されていたが、単行本は読切版の1話と連載最初の6話を収録した1巻しか発売されておらず、その単行本も事件がきっかけで絶版となってしまった。なお、回収に協力した人には、アドレス帳が送られた。
宮下の次作である『激!!極虎一家』には極道高校を退学した学帽政たちなど、極道高校キャラが多数登場している。
燃える!お兄さん・中傷事件
1990年第45号の『燃える!お兄さん』(佐藤正)が問題となった事件。
問題となった内容は、主人公の担任である教諭が仕事上の失敗から担任を外され同校の用務員をすることになり、それにたいして主人公が「先生ではなく用務員になったのだから何をしても構わない」という理屈の元に、その先生にやりたい放題するというもの。
この号が発売された直後から「用務員をバカにしている」などの抗議が用務員組合や読者等から殺到し、中傷していたという事態を重く見た本誌編集部はその掲載号を回収するという決断に至った。掲載号を集英社に郵送すると、本誌のマークが入ったシャープペンシルが貰えた。後に発行された単行本でもこの回は不掲載となった。
なお、ストーリー上で、この教諭が居なくなった事については、最終回近くの登場人物のセリフによって「謎の転勤」によるものだったと説明される事になった。
世紀末リーダー伝 たけし!・作者逮捕事件
2002年、『世紀末リーダー伝たけし!』の作者であった島袋光年が児童買春の疑いで逮捕された事件。
人気のあった同作品であるが、この事件を受けて同作品は同年37・38合併号での掲載を最後に打ち切られ、単行本も発売中止となってしまった。39号には、その旨を読者に知らせる文面が掲載された。
その後、島袋は謹慎期間を経て青年漫画誌『スーパージャンプ』にて復帰し(その際に「関係者に多大な迷惑をかけた」とコメント欄で謝罪)、絶版となっていた単行本も「ワイド判」として再刊、『たけし』が「スーパージャンプ」で連載が再開されたのち完結した。
関連ゲーム
以下に挙げるのは、週刊少年ジャンプをテーマに扱ったゲームソフトである。
ファミコンジャンプ 英雄列伝(ファミリーコンピュータ、アクションRPG、1988年2月15日、バンダイ)
ファミコンジャンプII 最強の7人(ファミリーコンピュータ、RPG、1991年12月2日、バンダイ)
カルトジャンプ(ゲームボーイ、クイズゲーム、1993年9月10日、バンダイ)
ジャンプスーパースターズ(ニンテンドーDS、格闘アクション、2005年8月8日、任天堂)
バトルスタジアム D.O.N(ニンテンドーゲームキューブ、プレイステーション2,アクションゲーム、2006年7月20日、バンダイナムコゲームス)
ジャンプアルティメットスターズ(ニンテンドーDS、格闘アクション、2006年11月23日、任天堂)ジャンプスーパースターズの続編。
脚注
^ ビックリマンシールで定着していたホログラム加工を取り入れたり、裏表の表紙をイラストとした「W表紙」などがあったが、代わりに雑誌の価格が上昇し一部では不評であった。
^ 『まんが秘宝Vol.2 つっぱりアナーキー王』 洋泉社、1997年。
^ その典型的パターンとして、開始当初は四畳半に暮らす牛丼好きのダメ超人を主人公に描くギャグ漫画であった『キン肉マン』や、当初は劇中でギャグマンガであることを匂わせていた『DRAGON BALL』、他に 『まじかる☆タルるートくん』などが挙げられる。
関連項目
ジャンプショップ
週刊ヤングジャンプ
ビジネスジャンプ
スーパージャンプ
ウルトラジャンプ
月刊少年ジャンプ
フレッシュジャンプ
Vジャンプ
赤マルジャンプ
ジャンプスクエア
ジャンプコミックス
東宝
東映
東映アニメーション
ぴえろ
サンライズ
TBSテレビ
フジテレビジョン
集英社
SCHOOL OF LOCK!
関連書籍
西村繁男 「さらばわが青春の『少年ジャンプ』」
飛鳥新社、1994年5月。ISBN 4870311720
幻冬舎、1997年11月。ISBN 4877285253
創刊から立ち会った元編集長が綴った内幕。
西村繁男 『漫画王国の崩壊』 ぶんか社、1998年3月。ISBN 482110606X
「さらばわが青春の『少年ジャンプ』」の続編的物語。前作より生々しい内容なので、登場人物は全員仮名になっている。
本宮ひろ志 『天然まんが家』 集英社、2001年10月。ISBN 408780335X
『週刊少年ジャンプ』黎明期の看板作家の自伝。漫画家側から見た『少年ジャンプ』史としても読める ウイキペディアより抜粋
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